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【和歌浦】玉津島神社にある鏡山にのぼってみた!!聖武天皇が見た景色が今も残るのか?

ちぃパパ&ちぃママ

※本ブログでは記事中に広告情報を含みます

聖武天皇が愛した和歌浦
そして、数々の文人がやって来ては、そのあまりの美しさに感銘を受け歌を残してきました


私は先人が残してきた叙情的で美しい歌は書けませんが
その代わり、先人達が見てきたであろう風景に共感し、それをブログに書き残していこうとおもいます(*^^*)


さっそく行ってみましょう!!


前回の記事からの続きです
⇒和歌浦にある【塩竃神社】と【不老橋】に行ってみた!かつて祓所と呼ばれていた聖地
良かったらお読みください

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鏡山のある場所と散策ルート



塩竃神社の横に玉津島神社へつづく参道があり松の木が出迎えてくれます

時代劇で見られるような情緒ある入口だけに、視界に入る信号機と看板がちょっと残念(^_^;)


このまま真っ直ぐ行くと玉津島神社の入口になりますが、ちょっと寄り道します


鏡山についての説明板
上記のルートで登っていきます



すぐそばにある鏡山に上がる階段
ちょっと急なので気を付けてください


段数が少ないのでそんなに苦ではありません


1~2分程で頂上に到着
向こう側は崖になっています

近付いてみると……


おおおぉぉ……

小さな山を上っただけなのにこの景色

視界には空と海と山が広がり遮るものが
なに一つありません!

右手に見える長細い島は海水浴場として有名な
片男波公園


名草山も綺麗に見えます
右の方角にいくと和歌山マリーナシティ・黒潮市場へいけます


南には新旧二つの橋が並んでいます
右が【不老橋】
左は【あしべ橋(新不老橋)】

あしべ橋は
片男波海水浴場へのアクセスを向上するために架けられた橋のようで
過去、景観がそこなうとして地元民が反対していたようです

とても美しい風景なのに
こうして現代人のエゴが見え隠れする一部を垣間見たとき、どこか寂しい気持ちになりますね

時代の流れとはいえ
不老橋だけが、時代に取り残されているようで少し儚くも感じます


聖武天皇が見た【明光浦(あかのうら) 】と私が見た【和歌浦】


聖武天皇と私がいま見ている和歌浦の風景は同じものなのでしょうか?


本物であって別物!!
的を得ない答えですが、これが答えです

正確に言うと
見ている場所はほぼ同じだけど
地形が変わってしまった
と言うことです

こちらをご覧ください

これは和歌浦の航空写真です
いま私たちは真ん中にある鳥居マークのところにいます

和歌浦の説明板によると


当時、紀ノ川は河口を和歌の浦に大きく開き、そこに小島を六つ浮かべていた。それが玉津島であった。

現在それらは妹背山(いもせやま)、鏡山(かがみやま)、奠供山(てんぐやま)、雲蓋山(うんがいやま)、妙見山、船頭山の名で呼ばれ、妹背山一つを海上に残してみな陸地化している。

しかし1300年昔、赤人が「神代よりしかぞ貴き」とたたえた玉津島山の面影は、鏡、奠供、雲蓋の三つの岩山にも今も見ることができる。


これらをもとに
和歌浦がどう変わったのかちょっと調べてみようかと思います


上記の写真を少し拡大してみました
すると……

①妹背山
②鏡山
③奠供山
④雲蓋山
⑤妙見山
⑥船頭山
と、山が6つ並んでいます
これらをまとめて【玉津島】です

聖武天皇は③の奠供山にのぼり
そこで見た景色の美しさに感動をおぼえ
それまで「弱浜(わかのはま)」と呼ばれていたこの地を『明光浦(あかのうら)』と改名したと言われております
(※ちなみに、私たちは②の鏡山にいます)


さて、ここで問題が……
説明板には
『そこに小島を六つ浮かべていた 』と書かれているのに
実際はです
これは一体どう言うことなのでしょうか?

山部赤人の詠んだ歌
若の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ 葦辺をさして 鶴鳴き渡る

【訳】
和歌の浦に潮が満ちて来ると、干潟が無くなるので、葦の生えている方に向かって鶴が鳴きながら渡る

実はこの辺り一帯は
潮の満ち引きのある【潟】で
むかしは今よりももっと内陸にまで広がっていたようです


【出典】和歌山市史 第1巻
(和歌浦の古地図です)


現代と古地図を並べると
明らかに地形が変わっているのがわかります

今の地形は①の妹背山だけが【潟】で
後の②~⑥までが山です

しかし、古地図では
③~⑥までが【潟】で
①の妹背山と②の鏡山に関して言えば
海の地形なので常に島だったのかもしれません


玉津島神社のホームページによると
現在は妹背山(いもせやま)だけが島ですが、万葉の時代の玉津島六山(妹背山、鏡山、奠供山、雲蓋山、妙見山、船頭山)は、潮が引くと陸続きになり、満潮時には海に浮かぶ島となったといわれています

【引用先】ー 聖武天皇と万葉歌

と書かれています


ですので聖武天皇がみた【若の浦】と呼ばれていた時代と
私が見た【和歌浦】とでは風景がガラリと変わってしまったと言うことになります



聖武天皇が見た景色は
潮が引き、それまで海に浮かんでいた島々が、次第に陸続きになっていくという神秘的な風景

そして、潮が満ちだし鶴が一斉に飛びだっていくという情緒的な風景
この二面性こそが、心の琴線に触れたのかもしれません

現在でも潮の満ち引きがありますが
ほとんどが埋め立てられてしまったため
昔と同じような風景を見ることが叶いません


聖武天皇と私の視界に飛び込んでくる情景が違えど
仰げば澄みわたる空に重なりあう名草山の稜線と、和歌浦湾から運ばれてくる潮の香りは
今も昔も変わらないはずです



鏡山から見たこの風景、これこらも永遠に残してほしいですね(*^^*)


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