夏の竹田城跡に行ってきた!おすすめの駐車場からルート、アクセスなどをご紹介!
竹田城跡に行ったときの感想から、駐車場、アクセス、おすすめのルートなどについて紹介します!

自然豊かな山々からまるで人目を隠すように湧き出す霧
その霧の中に、今は廃城となった幻の城があり、対峙する山から眺望すると、まるで雲の上に浮かんでいるように見えるという。
まさに幻想的な光景。
そして、壮大な眺望を目の当たりにした者みな必ず心を奪われるという。
そのお城の名は竹田城(跡)
竹田城は兵庫県の朝来市にあり
【日本100名城】にも選ばれています。
ペルーの世界遺産【マチュピチュ遺跡】と同じように山の上にあることから
【日本のマチュピチュ】とも呼ばれている
現在、天守や櫓といった建物が存在しておらず
石垣だけが残る幻の城跡
対面する朝来山(立雲峡)からその様子を眺めると、山自体がまるで【虎が伏している】かのように見える
そのことから竹田城跡は別名
【虎臥城(とらふすじょう・こがじょう)】
とも呼ばれている
一度はおとずれてみたい天空の城【竹田城跡】
今回は、私たちが利用した【山城の郷】から【竹田城跡受付】までのアクセスやルート・駐車場などを中心に紹介してみます

天空の城【竹田城跡】への登城期間は以下のとおり
雲海が立ち込める竹田城跡のピーク(混雑)期間は【秋】となります
この期間は大変混雑を極めるようです
臨時の駐車場なども早朝から満車になるようで
休日に関しては、前日の夜から一杯になるほどだと言われております
6kmほど離れたイオン和田山店で車を止め
シャトルバスで行く方法もありますが
バス停においても行列ができる可能性があるようです
出来ることなら 【秋】のシーズンでの自家用車は諦め、公共交通機関(バス・タクシー)か徒歩という手段が一番無難かもしれません
そんな中私たちが行った季節は【夏】
(※7月下旬の朝8時到着)
はガラガラでした(笑)

今回私たちは
地元、枚方市から竹田城跡へ向かうため
自家用車で行きました

アクセスは以下のとおり
【高速道路料金】
■中国吹田~春日IC2360円
■春日IC~和田山IC310円
計2670円
他の地方から来られる人は⇒こちらで詳しく書かれています
山城の郷第1駐車場(私たちが止めた場所)が竹田城跡に近く、歩きやすいのでおすすめです
【竹田城に近い】
■山城の郷第1駐車場~第3駐車場(100台)
(↑駐車料金は無料でした)
【駅近辺】
■竹田まちなか観光駐車場(60台)
■竹田城下町観光駐車場(150台)
■竹田区駐車場(70台)

出典:【朝来市ホームページ】
竹田城跡へのルートは下記のとおり

出典:和田山町観光協会
■竹田駅からは徒歩・バス・タクシー
■山城の郷からは徒歩・バス
バスの時刻表は全但バスホームページ
基本的に徒歩のルートは4通り

(1)駅裏登山道
⇒約0.8km 40分
(2)表米神社登山道
⇒0.7km 20分(難所)
(3)南登山道
⇒約2.2km 60分
(4)西登山道(山城の郷から)
⇒約1.4km 30分(舗装された道で意外と楽)

蒸し返す夏の日
この日は雨が降ったり止んだりという最悪の天気
山城の郷へは朝8時前に到着
先着の車が数台しか止まってません
竹田城跡へは歩いて30~40分くらい
ここからバスを使って楽しようと思いましたが
バスの到着が9時、時間が勿体無いので徒歩で頂上を目指すことにしました
ちなみに夏の山登りは大変暑く紫外線が強いので、気になる方は日焼け対策していきましょう!

今からあの頂上(木が見える)へ向かいます

このように舗装された道を登っていきます
なだらかな坂なので初心者向きです(*^^*)

ひたすら登ります

ちょっと近づいてきたかな?

竹田城跡第2駐車場に到着

バス・タクシーはここまで
ここからは歩くしかありません

こちら第1駐車場の入口(左)

駐車場に入ると山門が見えます
竹田城の遺構でしょうか?

駐車場の左奥にある供養塔
【山名氏・赤松氏両軍陣歿諸霊供養塔】と書かれているようです

山門をくぐると階段になっています

先ほどの道と合流しますので再びスタート!

時おり茂みの隙間から見える朝来の風景

道端に大量の石が転がっています
竹田城の石垣と関係があるのかな?

受付が見えてきました
山城の郷からここまで歩いて約40分でした

この先が竹田城跡の入口となります
トイレはここしかありませんので、必ず済ませておきましょう!

竹田城跡の入場料は下記のとおり
【個人】
■大人(高校生以上) ⇒500円
■中学生以下⇒無料
●年間パスポート 1人/1年 ⇒1000円
(毎年4月1日~翌年3月31日)
【団体】
■大人(高校生以上) ⇒450円
※料金など変更の場合がありますので要確認
⇒朝来市ホームページ

受付を済ませいざ出陣!

2013年11月、相次ぐ転落事故をうけ安全対策の工事を行うため【本丸】と【天守台】の見学が禁止されました
2016年3月1日、山開きと共にその入場が解禁され、ファンの方々にとっては待ち望んだ瞬間だと思います
実に2年3ヵ月の復活です
(※私たちが行った時はまだ禁止だったので、今回は行けませんでした。あしからず。)

7月下旬、この日は霧雨のような雨が降ったり止んだりと不安定な天気でした
山からガスが立ち込め視界がもやっています
竹田城といえば雲海に浮かぶあの光景があまりにも有名。
シーズンは9月1日~11月30日といわれています
※今回のこの霧は、周り全体が包まれているので、対面する山(立雲峡)から竹田城を見ても雲に浮かんでいるようには見えないと思います
さて、少し上ると、石垣が見えてきました

大小様々な石が積まれています
一見すると、無造作に組まれているようにもみえるこの石垣
実は竹田城全ての石垣は穴太衆が手掛けたものだと言われております
信長をはじめ秀吉、家康など多くの大名からさまざまな依頼を受けていました。まさに石垣造りのプロ集団です。
今私たちが目にする石垣は、竹田城最後の城主【赤松広秀】が豊臣秀吉の支援を受け穴太衆につくらせたものです
石垣が作られておよそ400年経った今もなお
崩れることなく(一部の復元をのぞく)保っています
石を加工せず、そのまま組み上げる
【穴太積み】と呼ばれる技法は一見すると雑に積み上げているようにみえますが、実は緻密な計算が練られています
穴太積みの技法は文字による表現が難しいことから、口伝で継承がされているともいわれています

今では天守や本丸などといった当時を偲ばせる建物は無く唯一、石垣だけが現存するのみ
ただ、曲輪を構成する石垣が当時のまま残っているお陰で、竹田城の縄張りがどのようになっていたのかが分かるといいます
縄張りとは
一言でいうと城郭の区画割りです
曲輪(本丸・二の丸・三の丸などの区画)をどこに配置するのか?
櫓をどこに建てるのか?
などを設計するもの
ちなみに縄張りの語源は
現地で縄をはり作業したことから、この名がついたといわれております
梯郭(ていかく)とは
上の写真【竹田城の縄張り図】では
本丸を中心に二の丸・三の丸が囲み
北東に北千畳
北西に花屋敷
南には南二の丸、南千畳
が三方向に広がっています

中心に向かうにつれ標高が高くなり
天守の353mが一番高くなっています
私たちは入口から出口へ抜けていきますが
南北400m・東西100mの広さを有する竹田城は
まるで鳥が翼を広げているようにみえます
うまく山の地形を利用しながら
そして尾根上に造られた曲輪はまさに芸術!
そんな芸術的な竹田城を
今から敵方になったつもりで侵入してみたいと思います(笑)

大手門付近
竹田城の正門(正式にはだったところ)に当たるところです

階段をのぼり振り返ってみると
そこには大自然と人々とが共存する世界が広がっていました
これぞ日本の風景
おもわず感嘆の声があがります
ここ竹田城跡がある古城山と対面(東側)には
金梨山(左の山)と朝来山(右側の山)という山があります
テレビや雑誌などでみる雲海に浮かぶ竹田城は、右側の朝来山にある立雲峡から見ているのです
山あいで流れる一級河川の円山川は
シーズン(9月~11月)になると
天空の城を引き立てる神秘的なあの雲海を発生させするといいます

階段を上がると北千畳という広い場所に出てきました
そこには大きな桜の木がありました
凛としていて、なにかこう人を惹き付ける雰囲気があります

こちらはどこか儚さを感じさせる風景
いまにも武将が現れそうな雰囲気を醸し出しています
霧の雰囲気ひとつで、色んな場面か想像できますね!


この写真は竹田駅の観光案内書に置かれる模型
もし、竹田城に建物が建っていたらこんな感じというもの
模型を見ると四角く桝形のような場所に
大手門が2つあります
1つ目の門から2つ目の門へ抜ける通路はL字型になっています
実はこれ、お城を防衛するため造られた仕掛けでこれを【桝形虎口】といいます
1つ目の門が突破されたとしても、2つ目の門の前で道を阻まれます
敵兵は枡の中で閉じ込められます。
すると3方もしくは4方から鉄砲や弓矢を浴びせられ一網打尽にされるという仕掛けです
⇒枡形虎口についてはこちらで詳しく書かれています

大手門から三の丸に行く通路も連続のL字型となっていています
曲がり角を多く設けることにより、侵入する速度を遅めるためです
こういった仕掛けは他のお城でもよく見掛けます

番号順が見学コースとなっていますが
私たちが行った時(去年)は、本丸・天守に入ることが出来ませんでした
現在は、二の丸から入って見学が出来るようです

①通路がクランク型になっているのがよく分かります

②三の丸

③三の丸から二の丸へ行く通路

④二の丸横から天守と本丸を見ています

⑤本丸の裏付近
通路が狭くなっています

⑥こちらは花屋敷というところです
ここで、薬草などを栽培していたようです

⑦南二の丸へ向かう通路
左の石垣は本丸の石垣です

⑧こうしてみると建物がないだけに
どこかの遺跡のようにも見えますね

⑨こちらは南二の丸


⑩左先に見える高台と右側の南二の丸の敷地との間に、大きな門がはわされています
敵はそこから侵入してきます
通路は狭く中は先程説明した桝形虎口となっているのがわかります
仮にここを突破しても複雑な通路かつ段差の連続になっているので、前に進みにくい仕掛けが待ち受けています

⑪正門と書かれた板がたっています
ちょうどこの辺りに門があったんですね
この中に入ると上から鉄砲や弓矢が飛んでくるという……恐ろしい(;゜∀゜)

⑫こちらは南千畳
大きな松の木が立っています
向こう正面に大路山が見えます
もやっていて美しい山の稜線が見えないのが残念

⑬竹田城の南端からみた城跡

後ろを振り返るとこの景色
山間を優雅に流れる円山川
川そばには田園風景が広がっております
この、のどかな風景を見ていると本当に戦がおきていたのかな?
なんて思わず疑いたくなるのは私だけでしょうか?

⑭今は石垣だけが残る竹田城
最後はどのようにして姿を消したのでしょう

⑮こちらは⑪で紹介した正門です
よく見ると大きな石があります
これは【鏡石】と呼ばれている石で、他の城でもよく見掛ける石です
鏡石は城主のステータスとして大手門(正門)付近の目につくところにはめ込むことが多いのですが、ここで1つの疑問が
実は竹田城の正門(大手門)は北千畳であるはずなのにどういうわけか、ここ南千畳も正門となっています
つまり北と南の2ヶ所に正門があることになります
⑪の写真で見た立て札に正門と書かれていたのが、そもそもの混乱のもとでした
調べていくうちに北千畳の大手門は実は鬼門に当たることから
のちに、ここ(南千畳)に変えたのではと言われているそうです
鏡石が置かれていることをふまえると
やはり南千畳の正門が正式な入口なのでしょうね
ややこしい……。
ちなみにこの「鏡石」
後になって知ったのですが
触ると願いが叶うというパワーストーンのようです
他のブログで石に触れて帰る姿をよく見掛けるのですがご覧のとおり、柵が掛かっています
崩落の恐れが有るからだと思うのですが
今は触れないのかな?
こちらはYouTubeでみつけた【竹田城跡の空撮影像】です
竹田城跡の周りを空撮しています
これを見ると城跡の全貌がよく分かります
もし、今後竹田城へ行かれるなら予習を兼ねてみてはいかがでしょうか?
日本100名城に選ばれる竹田城跡
鳥が南北に羽を伸ばしたように見えるその姿はまさに芸術
限られた尾根の上に曲輪を設け、今もなお崩れることのない堅牢な石垣を作りあげた職人達の技術はもはや神がかっている
つくづく昔の人の情熱と技術力には驚かされることばかりです
今回私たちがおとずれたこの日は、本丸と天守に上がることが出来ずとても残念に終わりました
ですが、再び行く楽しみとして取っておくことにします(*^^*)
【近隣情報】
兵庫県朝来市にある【JR生野駅】をちょっと散策
朝来市にある道の駅【フレッシュあさご】へ行ってみた!
生野銀山へ行ってきた!夏でも涼しい朝来市の観光スポット

自然豊かな山々からまるで人目を隠すように湧き出す霧
その霧の中に、今は廃城となった幻の城があり、対峙する山から眺望すると、まるで雲の上に浮かんでいるように見えるという。
まさに幻想的な光景。
そして、壮大な眺望を目の当たりにした者みな必ず心を奪われるという。
そのお城の名は竹田城(跡)
竹田城は兵庫県の朝来市にあり
【日本100名城】にも選ばれています。
ペルーの世界遺産【マチュピチュ遺跡】と同じように山の上にあることから
【日本のマチュピチュ】とも呼ばれている
現在、天守や櫓といった建物が存在しておらず
石垣だけが残る幻の城跡
対面する朝来山(立雲峡)からその様子を眺めると、山自体がまるで【虎が伏している】かのように見える
そのことから竹田城跡は別名
【虎臥城(とらふすじょう・こがじょう)】
とも呼ばれている
一度はおとずれてみたい天空の城【竹田城跡】
今回は、私たちが利用した【山城の郷】から【竹田城跡受付】までのアクセスやルート・駐車場などを中心に紹介してみます
竹田城跡の登城期間とピーク(混雑)期間

天空の城【竹田城跡】への登城期間は以下のとおり
【(春)スプリングシーズン】
3月1日~ 5月31日
午前8時~午後6時
(最終登城 午後5時30分)
【(夏)サマーシーズン】
6月1日~ 8月31日
午前6時~午後6時
(最終登城 午後5時30分)
【(秋)雲海シーズン】
9月1日~11月30日
午前4時~午後5時
(最終登城 午後4時30分)
【(冬)ウィンターシーズン】
12月1日~翌年1月3日
午前10時~午後2時
(最終登城 午後1時)
※期間の変更などがあるかもしれませんので
あらかじめ朝来市のホームページでご確認下さい
引用先━朝来市ホームページ
雲海が立ち込める竹田城跡のピーク(混雑)期間は【秋】となります
この期間は大変混雑を極めるようです
臨時の駐車場なども早朝から満車になるようで
休日に関しては、前日の夜から一杯になるほどだと言われております
6kmほど離れたイオン和田山店で車を止め
シャトルバスで行く方法もありますが
バス停においても行列ができる可能性があるようです
出来ることなら 【秋】のシーズンでの自家用車は諦め、公共交通機関(バス・タクシー)か徒歩という手段が一番無難かもしれません
そんな中私たちが行った季節は【夏】
(※7月下旬の朝8時到着)
竹田城跡にもっとも近い【山城の郷】の駐車場 |
竹田城跡へのアクセス・行き方

今回私たちは
地元、枚方市から竹田城跡へ向かうため
自家用車で行きました

アクセスは以下のとおり
中国自動車道「吹田IC」
↓
「吉川JCT」から舞鶴若狭自動車道へ
↓
「春日JCT」から北近畿豊岡自動車へ
↓
「和田山IC」で一般道へ下りる
↓
「和田山インター前」信号を左折。
↓
(国道312号線沿いに約1km南下)
「加都(かつ)」交差点を右折。
↓
(道なりに2kmほど直進。
途中、円山川→線路→竹田小学校横を通過。)
左手「竹田城跡」の看板を左折。
↓
山城の郷・竹田城跡
●およそ2時間(137km)ほどで到着しました
【高速道路料金】
■中国吹田~春日IC2360円
■春日IC~和田山IC310円
計2670円
他の地方から来られる人は⇒こちらで詳しく書かれています
竹田城跡の駐車場と近隣駐車場
山城の郷第1駐車場(私たちが止めた場所)が竹田城跡に近く、歩きやすいのでおすすめです
【竹田城に近い】
■山城の郷第1駐車場~第3駐車場(100台)
(↑駐車料金は無料でした)
【駅近辺】
■竹田まちなか観光駐車場(60台)
■竹田城下町観光駐車場(150台)
■竹田区駐車場(70台)

出典:【朝来市ホームページ】
竹田城跡へのルート
竹田城跡へのルートは下記のとおり

出典:和田山町観光協会
■竹田駅からは徒歩・バス・タクシー
■山城の郷からは徒歩・バス
バスの時刻表は全但バスホームページ
徒歩のルートの場合
基本的に徒歩のルートは4通り

(1)駅裏登山道
⇒約0.8km 40分
(2)表米神社登山道
⇒0.7km 20分(難所)
(3)南登山道
⇒約2.2km 60分
(4)西登山道(山城の郷から)
⇒約1.4km 30分(舗装された道で意外と楽)
山城の郷から竹田城跡にむけレッツゴー!

蒸し返す夏の日
この日は雨が降ったり止んだりという最悪の天気
山城の郷へは朝8時前に到着
先着の車が数台しか止まってません
竹田城跡へは歩いて30~40分くらい
ここからバスを使って楽しようと思いましたが
バスの到着が9時、時間が勿体無いので徒歩で頂上を目指すことにしました
ちなみに夏の山登りは大変暑く紫外線が強いので、気になる方は日焼け対策していきましょう!

今からあの頂上(木が見える)へ向かいます

このように舗装された道を登っていきます
なだらかな坂なので初心者向きです(*^^*)

ひたすら登ります

ちょっと近づいてきたかな?

竹田城跡第2駐車場に到着

バス・タクシーはここまで
ここからは歩くしかありません

こちら第1駐車場の入口(左)

駐車場に入ると山門が見えます
竹田城の遺構でしょうか?

駐車場の左奥にある供養塔
【山名氏・赤松氏両軍陣歿諸霊供養塔】と書かれているようです

山門をくぐると階段になっています

先ほどの道と合流しますので再びスタート!

時おり茂みの隙間から見える朝来の風景

道端に大量の石が転がっています
竹田城の石垣と関係があるのかな?

受付が見えてきました
山城の郷からここまで歩いて約40分でした

この先が竹田城跡の入口となります
トイレはここしかありませんので、必ず済ませておきましょう!
竹田城跡の入場料(料金)

竹田城跡の入場料は下記のとおり
【個人】
■大人(高校生以上) ⇒500円
■中学生以下⇒無料
●年間パスポート 1人/1年 ⇒1000円
(毎年4月1日~翌年3月31日)
【団体】
■大人(高校生以上) ⇒450円
※料金など変更の場合がありますので要確認
⇒朝来市ホームページ

受付を済ませいざ出陣!

2013年11月、相次ぐ転落事故をうけ安全対策の工事を行うため【本丸】と【天守台】の見学が禁止されました
2016年3月1日、山開きと共にその入場が解禁され、ファンの方々にとっては待ち望んだ瞬間だと思います
実に2年3ヵ月の復活です
(※私たちが行った時はまだ禁止だったので、今回は行けませんでした。あしからず。)

7月下旬、この日は霧雨のような雨が降ったり止んだりと不安定な天気でした
山からガスが立ち込め視界がもやっています
竹田城といえば雲海に浮かぶあの光景があまりにも有名。
シーズンは9月1日~11月30日といわれています
※今回のこの霧は、周り全体が包まれているので、対面する山(立雲峡)から竹田城を見ても雲に浮かんでいるようには見えないと思います
さて、少し上ると、石垣が見えてきました
竹田城の見所のひとつ穴太衆の石垣

大小様々な石が積まれています
一見すると、無造作に組まれているようにもみえるこの石垣
実は竹田城全ての石垣は穴太衆が手掛けたものだと言われております
太衆(あのうしゅう)は、日本の近世初期にあたる織豊時代(安土桃山時代)に活躍した、石工の集団。
主に寺院や城郭などの石垣施工を行った技術者集団である。
石工衆(いしくしゅう)、石垣職人(いしがきしょくにん)とも称す。
「穴太」の歴史的仮名遣での読み仮名は「あなふ」である。
引用先:【Wikipedia】━穴太衆
信長をはじめ秀吉、家康など多くの大名からさまざまな依頼を受けていました。まさに石垣造りのプロ集団です。
今私たちが目にする石垣は、竹田城最後の城主【赤松広秀】が豊臣秀吉の支援を受け穴太衆につくらせたものです
石垣が作られておよそ400年経った今もなお
崩れることなく(一部の復元をのぞく)保っています
石を加工せず、そのまま組み上げる
【穴太積み】と呼ばれる技法は一見すると雑に積み上げているようにみえますが、実は緻密な計算が練られています
穴太積みの技法は文字による表現が難しいことから、口伝で継承がされているともいわれています

今では天守や本丸などといった当時を偲ばせる建物は無く唯一、石垣だけが現存するのみ
ただ、曲輪を構成する石垣が当時のまま残っているお陰で、竹田城の縄張りがどのようになっていたのかが分かるといいます
縄張りとは
一言でいうと城郭の区画割りです
曲輪(本丸・二の丸・三の丸などの区画)をどこに配置するのか?
櫓をどこに建てるのか?
などを設計するもの
ちなみに縄張りの語源は
現地で縄をはり作業したことから、この名がついたといわれております
【梯郭(ていかく)式縄張】の竹田城
梯郭(ていかく)とは
縄張りの一種で、本丸の二方
あるいは三方を囲むように二の丸、三の丸が配置される。
本丸は片隅に位置し、二の丸で囲まれない面は、川、崖、海などの要害になっていることが多い
【引用先】:城郭用語集
上の写真【竹田城の縄張り図】では
本丸を中心に二の丸・三の丸が囲み
北東に北千畳
北西に花屋敷
南には南二の丸、南千畳
が三方向に広がっています

中心に向かうにつれ標高が高くなり
天守の353mが一番高くなっています
私たちは入口から出口へ抜けていきますが
戦国時代ではこの出入口から敵が侵入してきます |
竹田城跡の城内へ
南北400m・東西100mの広さを有する竹田城は
まるで鳥が翼を広げているようにみえます
うまく山の地形を利用しながら
そして尾根上に造られた曲輪はまさに芸術!
そんな芸術的な竹田城を
今から敵方になったつもりで侵入してみたいと思います(笑)

大手門付近
竹田城の正門(正式にはだったところ)に当たるところです

階段をのぼり振り返ってみると
そこには大自然と人々とが共存する世界が広がっていました
これぞ日本の風景
おもわず感嘆の声があがります
ここ竹田城跡がある古城山と対面(東側)には
金梨山(左の山)と朝来山(右側の山)という山があります
テレビや雑誌などでみる雲海に浮かぶ竹田城は、右側の朝来山にある立雲峡から見ているのです
山あいで流れる一級河川の円山川は
シーズン(9月~11月)になると
天空の城を引き立てる神秘的なあの雲海を発生させするといいます

階段を上がると北千畳という広い場所に出てきました
そこには大きな桜の木がありました
凛としていて、なにかこう人を惹き付ける雰囲気があります

こちらはどこか儚さを感じさせる風景
いまにも武将が現れそうな雰囲気を醸し出しています
霧の雰囲気ひとつで、色んな場面か想像できますね!


この写真は竹田駅の観光案内書に置かれる模型
もし、竹田城に建物が建っていたらこんな感じというもの
模型を見ると四角く桝形のような場所に
大手門が2つあります
1つ目の門から2つ目の門へ抜ける通路はL字型になっています
実はこれ、お城を防衛するため造られた仕掛けでこれを【桝形虎口】といいます
1つ目の門が突破されたとしても、2つ目の門の前で道を阻まれます
敵兵は枡の中で閉じ込められます。
すると3方もしくは4方から鉄砲や弓矢を浴びせられ一網打尽にされるという仕掛けです
⇒枡形虎口についてはこちらで詳しく書かれています

大手門から三の丸に行く通路も連続のL字型となっていています
曲がり角を多く設けることにより、侵入する速度を遅めるためです
こういった仕掛けは他のお城でもよく見掛けます

番号順が見学コースとなっていますが
私たちが行った時(去年)は、本丸・天守に入ることが出来ませんでした
現在は、二の丸から入って見学が出来るようです

①通路がクランク型になっているのがよく分かります

②三の丸

③三の丸から二の丸へ行く通路

④二の丸横から天守と本丸を見ています

⑤本丸の裏付近
通路が狭くなっています

⑥こちらは花屋敷というところです
ここで、薬草などを栽培していたようです

⑦南二の丸へ向かう通路
左の石垣は本丸の石垣です

⑧こうしてみると建物がないだけに
どこかの遺跡のようにも見えますね

⑨こちらは南二の丸


⑩左先に見える高台と右側の南二の丸の敷地との間に、大きな門がはわされています
敵はそこから侵入してきます
通路は狭く中は先程説明した桝形虎口となっているのがわかります
仮にここを突破しても複雑な通路かつ段差の連続になっているので、前に進みにくい仕掛けが待ち受けています

⑪正門と書かれた板がたっています
ちょうどこの辺りに門があったんですね
この中に入ると上から鉄砲や弓矢が飛んでくるという……恐ろしい(;゜∀゜)

⑫こちらは南千畳
大きな松の木が立っています
向こう正面に大路山が見えます
もやっていて美しい山の稜線が見えないのが残念

⑬竹田城の南端からみた城跡

後ろを振り返るとこの景色
山間を優雅に流れる円山川
川そばには田園風景が広がっております
この、のどかな風景を見ていると本当に戦がおきていたのかな?
なんて思わず疑いたくなるのは私だけでしょうか?

⑭今は石垣だけが残る竹田城
最後はどのようにして姿を消したのでしょう
最後の城主である赤松広秀は関ヶ原の戦いでは西軍に属し、田辺城(舞鶴城)を攻めるも、西軍は敗戦。
東軍の亀井茲矩の誘いで鳥取城攻めに加わって落城させるが、城下の大火の責めを負い、家康の命によって慶長5年10月28日(1600年12月3日)鳥取真教寺にて切腹。
広秀の居城であった竹田城は、家康の命により 山名豊国が受取りに行き、入城した。
その後江戸幕府の方針により、竹田城は廃城となった。
引用先:【Wikipedia】━竹田城より

⑮こちらは⑪で紹介した正門です
よく見ると大きな石があります
これは【鏡石】と呼ばれている石で、他の城でもよく見掛ける石です
鏡石は城主のステータスとして大手門(正門)付近の目につくところにはめ込むことが多いのですが、ここで1つの疑問が
実は竹田城の正門(大手門)は北千畳であるはずなのにどういうわけか、ここ南千畳も正門となっています
つまり北と南の2ヶ所に正門があることになります
⑪の写真で見た立て札に正門と書かれていたのが、そもそもの混乱のもとでした
調べていくうちに北千畳の大手門は実は鬼門に当たることから
のちに、ここ(南千畳)に変えたのではと言われているそうです
鏡石が置かれていることをふまえると
やはり南千畳の正門が正式な入口なのでしょうね
ややこしい……。
ちなみにこの「鏡石」
後になって知ったのですが
触ると願いが叶うというパワーストーンのようです
他のブログで石に触れて帰る姿をよく見掛けるのですがご覧のとおり、柵が掛かっています
崩落の恐れが有るからだと思うのですが
今は触れないのかな?
こちらはYouTubeでみつけた【竹田城跡の空撮影像】です
竹田城跡の周りを空撮しています
これを見ると城跡の全貌がよく分かります
もし、今後竹田城へ行かれるなら予習を兼ねてみてはいかがでしょうか?
終わりに
日本100名城に選ばれる竹田城跡
鳥が南北に羽を伸ばしたように見えるその姿はまさに芸術
限られた尾根の上に曲輪を設け、今もなお崩れることのない堅牢な石垣を作りあげた職人達の技術はもはや神がかっている
つくづく昔の人の情熱と技術力には驚かされることばかりです
今回私たちがおとずれたこの日は、本丸と天守に上がることが出来ずとても残念に終わりました
ですが、再び行く楽しみとして取っておくことにします(*^^*)
竹田城跡の詳細 |
【住所】兵庫県朝来市和田山町竹田字古城山169 【駐車場】有り 【トイレ】有り(受付前のみ) 【楽天たびノート】竹田城跡周辺の口コミ |
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