七夕祭りで有名交野市の機物神社に行ってきた!アクセスや駐車場はありますか?

交野市は倉治にある機物神社に行ってきました。読み方ははたものじんじゃと読みます。
枚方・交野といえば七夕発祥の地として有名で、七夕や星に関連した地名や名所が数多くある地。
そして、その中で中心的な存在といえばやはりここ機物神社ではないでしょうか?
今回は機物神社について少し調べてみましたので、その事について欠いてみたいと思います。
機物神社の創建は不明ですが、そのむかしこの付近に大陸系の渡来人(秦人)が多く住んでいたそうです。
機物神社の由来は【秦者】が【機物】に転訛(てんか)したものではいかといわれております。

渡来人は、先進技術である【機物(はたもの)】をおこなっていました。
それにより機物の神(祭神)、いわゆる天棚機比売(あまのたなばたひめ(織姫))を祀ったのではないかと思われます

この神社では毎年、七月七日に七夕祭が行われます。
本殿前に約5~6mある竹笹を建て、多くの人が短冊に願いを込め笹に結びます。迫力のある竹笹です。
機物神社と七夕伝説
枚方・交野は昔、交野が原とよばれていた時代がありました。その頃から今にいたるまで七夕伝説は語りつがれてきました。
前述の通り、枚方交野は七夕伝説発祥の地と言われており、七夕にちなんだ場所が多数存在しています。
例えばここ機物神社では織姫をまつり、彦星は枚方の香里ヶ丘におられます。
⇒【香里ヶ丘】観音山公園の牽牛石(彦星)を見に行ってきた!公園内の紅葉が赤くなっている
他には天の川や天津橋や逢合橋などもありますね。
機物神社と戦国武将
機物神社の七夕伝説はあまりにも有名なのですが、実は戦国武将ともゆかりがある神社でもあるんですね!
誰だと思います?
戦国マニアなら思わず目がくらむ人物です(笑)
織田信長と豊臣秀吉と明智光秀の御三方
では、一人づつ説明していきましょう!
【織田信長】
1572年(元亀3年)織田信長の軍勢がこのお社に狼藉陣取し、寄宿放火の禁制言い渡しました。
「今日からワシがこの場所を使用する、よって宿舎を燃やすようなつまり、放火などをするような奴らは断じて許さん」
といった感じ。
翌年(天正元年)には神境を東西260間、南北67間余と定めたそうです。(1間=約1.8m)
さらに神職16人の席順争いの折は信長が、調停をいいわたしています。
【明智光秀】
1582年(天正10年)明智光秀が武運長久を祈願し、初穂料として白銀100枚を奉納。
【豊臣秀吉】
1588年(天正16年)、聚楽第に天皇行幸の快晴を祈願して、見事快晴だったので神饌米百表を奉納しています
【豊臣秀次】
武運長大満願成就が実り、神殿を新しくし米千俵を奉納しました。
機物神社に引き付けられた戦国の英雄達。
何故、機物神社を選んだのでしょうか?謎だけに興味がそそります!
機物神社の駐車場入口


機物神社の駐車場入口は境内の東の端にあります。
となりには倉治こども園があり目印です。
機物神社の詳細 |
【住所】大阪府交野市倉治1丁目1-7 【営業時間】境内自由 【アクセス】JR学研都市線「津田」駅下車。京阪バス「倉治」停留所下車。 【駐車場】有り |
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