近江八幡にある【ヴォーリズ】ゆかりの建物を巡ってみた
ヴォーリズゆかりの建物を巡ってみました

青い目の近江商人
にわかに想像しがたいこのフレーズ
日本人の商人でありながら青い目
一体どのような商人だったのか?
このインパクトのあるフレーズが頭から離れず
前回書いた近江の八幡堀から
その商人ゆかりの建物が近くにあるので、少し寄り道をしてみました
青い目をした外国人の名は ウィリアム・メレル・ヴォーリズ
アメリカ人の建築家です
ヴォーリズは24才の時、英語の教師およびキリスト布教活動も兼ね、単身アメリカから見知らぬ土地である滋賀県近江八幡市にやってきたました
その後、宗教的な問題で教師を辞めたのち
本格的にYMCAの活動をするべく資金確保のため
建築事務所を設立し学校、教会、病院などを建設し社会貢献を果たしたようです
ヴォーリズの人物や功績についてはこちら
さっそくヴォーリズのゆかりある建物を巡ってみましょう

【近江八幡教会】
昔ながらの家が立ち並ぶところに、突如クリーム色の教会が出現!
一見、場違いのような建物だが
むしろそれがかえって存在感を高めているようにも思えます



近江八幡教会は、あとに紹介するアンドリュース記念館の横に建てられた教会で
ヴォーリズが手掛けたもの
この教会を建設をしたきに
滋賀県においてキリスト教の布教が一気に加速していったようです
残念なことにこの教会は、一度焼失し建て替えられたものだと書いてあります

【アンドリュース記念館】
こちらは近江八幡教会の隣にある建物
(※平成18年に改修されたようです)

明らかに和洋折衷感が漂う建物
ヴォーリズがここ近江八幡で手掛けた第一号の建築物
生涯ヴォーリズは1000戸以上の建物を作ったようです
その第一号を目の前で拝めるなんて、感慨深いものがありますね(*^^*)

アンドリュースという名はヴォーリズの大学時代の親友で、若くして亡くなります
その後、ハーバード・アンドリュース家から資金が送られ全貯蓄を投じ自ら設計し建築したもの
ちなみにアンドリュース記念館は【国の登録有形文化財】です



こちらもヴォーリズが手掛けた【近江八幡教会牧師館】
先程のアンドリュース記念館から道路を挟んだ正面にあります
2階上部の丸い窓?に
+のマークになっているのが見えます
キリストだからなのでしょうか?

少し歩くと酒屋さんが見えてきました
とても狭い場所から数本の木が伸びています
これ、同じ木なんですかね?

酒屋の軒先にぶら下がる丸い玉(杉玉)が、かわいく見えるのは私だけでしょうか?

酒屋さんを少しいったところに、少し古びた洋風の建物があります

こちらもヴォーリズが設計した【旧八幡郵便局】
郵便局として使用していた期間は意外にも短かったのには驚きですが
個人的にはそのまま郵便局であってほしかったです

ゴージャスな郵便マークが素敵!
旧八幡郵便局の文字が右から書かれている所に時代を感じますよね(*^^*)

こちらは【ヴォーリズ記念館(正式には一柳記念館)】
ヴォーリズが生前暮らしていた建物で、中には当時使われていた遺品などが置かれているといいます
ちなみに拝観は要予約です

あらゆる事務局が書かれています


もちろんここもヴォーリズが設計した建物
簡素かつ素朴的な印象を受けるこの建物には
ヴォーリズの建築ポリシーが込められており
【装飾よりも実用性を重視】という考えのもとで作られています
という言葉をヴォーリズは残しており
数多くの建物でそれを見掛けることができるといいます

こちらはヴォーリズ記念館の裏手にある学校【近江兄弟社学園】です

近江兄弟社学園と書かれ
小中高校の私立学校です

この建物はヴォーリズとその妻、一柳満喜子夫人が設立したもので
清友園幼稚園と講堂兼体育館が建てられ夫人が園長を勤めたとあります
当初、これらの建物を建築するうえで
あの、メンソレータム創業者である
アルバート・アレキサンダー・ハイドの妻から建築費用を寄付されたようです
ちなみにヴォーリズは塗り薬であるメンソレータムを
日本国内向けに製造・販売できる権利を携え、日本で広めたという功績があるようです
ヴォーリズがこの世を去りメンソレータムの販売権を返上しましたが
その後、メンソレータム社の許可のもと
名称を変え 【メンターム(近江兄弟社)】として復活したそうです

右手に見えるのがハイド記念館(旧・清友園幼稚園)
正面は教育会館(旧・講堂兼体育館)
1937年、あのヘレン・ケラーが講演した場所だといわれております
日本建築に突如と現れる洋風建築
でも、思っていたほど違和感はなくむしろ日本建築が建ち並ぶ場所に馴染んでいます
ヴォーリズの日本に対する愛情を込めた建物
ゆえに
私たちはヴォーリズが手掛ける建物に違和感を感じず、すんなり受け入れられるのかもしれません
今回、時間の兼ね合いでヴォーリズ建築には少ししか巡れませんでした
本当は中に入って見たかったです
それはまたの機会にとっておきましょう(^_^;)
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青い目の近江商人
にわかに想像しがたいこのフレーズ
日本人の商人でありながら青い目
一体どのような商人だったのか?
このインパクトのあるフレーズが頭から離れず
前回書いた近江の八幡堀から
その商人ゆかりの建物が近くにあるので、少し寄り道をしてみました
青い目をした外国人の名は ウィリアム・メレル・ヴォーリズ
アメリカ人の建築家です
ヴォーリズは24才の時、英語の教師およびキリスト布教活動も兼ね、単身アメリカから見知らぬ土地である滋賀県近江八幡市にやってきたました
その後、宗教的な問題で教師を辞めたのち
本格的にYMCAの活動をするべく資金確保のため
建築事務所を設立し学校、教会、病院などを建設し社会貢献を果たしたようです
また、ヴォーリズの考える布教活動の
理想は宣教師や牧師になることではなく、種々な職業を通じてキリスト教的生活を実践するYMCA的な生き方にあった
~ W.M.ヴォーリズライブラリ参照
ヴォーリズの人物や功績についてはこちら
さっそくヴォーリズのゆかりある建物を巡ってみましょう

【近江八幡教会】
昔ながらの家が立ち並ぶところに、突如クリーム色の教会が出現!
一見、場違いのような建物だが
むしろそれがかえって存在感を高めているようにも思えます



近江八幡教会は、あとに紹介するアンドリュース記念館の横に建てられた教会で
ヴォーリズが手掛けたもの
この教会を建設をしたきに
滋賀県においてキリスト教の布教が一気に加速していったようです
残念なことにこの教会は、一度焼失し建て替えられたものだと書いてあります

【アンドリュース記念館】
こちらは近江八幡教会の隣にある建物
(※平成18年に改修されたようです)

明らかに和洋折衷感が漂う建物
ヴォーリズがここ近江八幡で手掛けた第一号の建築物
生涯ヴォーリズは1000戸以上の建物を作ったようです
その第一号を目の前で拝めるなんて、感慨深いものがありますね(*^^*)

アンドリュースという名はヴォーリズの大学時代の親友で、若くして亡くなります
その後、ハーバード・アンドリュース家から資金が送られ全貯蓄を投じ自ら設計し建築したもの
ちなみにアンドリュース記念館は【国の登録有形文化財】です



こちらもヴォーリズが手掛けた【近江八幡教会牧師館】
先程のアンドリュース記念館から道路を挟んだ正面にあります
2階上部の丸い窓?に
+のマークになっているのが見えます
キリストだからなのでしょうか?

少し歩くと酒屋さんが見えてきました
とても狭い場所から数本の木が伸びています
これ、同じ木なんですかね?

酒屋の軒先にぶら下がる丸い玉(杉玉)が、かわいく見えるのは私だけでしょうか?

酒屋さんを少しいったところに、少し古びた洋風の建物があります

こちらもヴォーリズが設計した【旧八幡郵便局】
1921年に竣工して以来、1960年まで郵便局の局舎として使用されていた。
その後玄関部分が取り壊されたが、2004年に復元された。
現在はギャラリーやイベント会場などの多目的スペースとして活用されており、特定非営利活動法人ヴォーリズ建築保存再生運動一粒の会の事務所としても使用されている
~Wikipedia参照
郵便局として使用していた期間は意外にも短かったのには驚きですが
個人的にはそのまま郵便局であってほしかったです

ゴージャスな郵便マークが素敵!
旧八幡郵便局の文字が右から書かれている所に時代を感じますよね(*^^*)

こちらは【ヴォーリズ記念館(正式には一柳記念館)】
ヴォーリズが生前暮らしていた建物で、中には当時使われていた遺品などが置かれているといいます
ちなみに拝観は要予約です

あらゆる事務局が書かれています


もちろんここもヴォーリズが設計した建物
簡素かつ素朴的な印象を受けるこの建物には
ヴォーリズの建築ポリシーが込められており
【装飾よりも実用性を重視】という考えのもとで作られています
「建物の風格は人間の人格と同じく、その外見よりもむしろ内容にある」
という言葉をヴォーリズは残しており
数多くの建物でそれを見掛けることができるといいます

こちらはヴォーリズ記念館の裏手にある学校【近江兄弟社学園】です

近江兄弟社学園と書かれ
小中高校の私立学校です

この建物はヴォーリズとその妻、一柳満喜子夫人が設立したもので
清友園幼稚園と講堂兼体育館が建てられ夫人が園長を勤めたとあります
当初、これらの建物を建築するうえで
あの、メンソレータム創業者である
アルバート・アレキサンダー・ハイドの妻から建築費用を寄付されたようです
ちなみにヴォーリズは塗り薬であるメンソレータムを
日本国内向けに製造・販売できる権利を携え、日本で広めたという功績があるようです
ヴォーリズがこの世を去りメンソレータムの販売権を返上しましたが
その後、メンソレータム社の許可のもと
名称を変え 【メンターム(近江兄弟社)】として復活したそうです

右手に見えるのがハイド記念館(旧・清友園幼稚園)
正面は教育会館(旧・講堂兼体育館)
1937年、あのヘレン・ケラーが講演した場所だといわれております
日本建築に突如と現れる洋風建築
でも、思っていたほど違和感はなくむしろ日本建築が建ち並ぶ場所に馴染んでいます
ヴォーリズは自叙伝で
「日本はいたる処、どこも美しい。特に近江は一番美しい」と記しています
昭和10年の近江兄弟社創業30周年記念においては
「私は近江八幡が大好きですから、永久に居住したい」と語り
「この世界で私の第二の故郷となった近江八幡から死をもってするも私は離れたくありません」と町民に語った
ヴォーリズの日本に対する愛情を込めた建物
ゆえに
私たちはヴォーリズが手掛ける建物に違和感を感じず、すんなり受け入れられるのかもしれません
今回、時間の兼ね合いでヴォーリズ建築には少ししか巡れませんでした
本当は中に入って見たかったです
それはまたの機会にとっておきましょう(^_^;)
■近隣情報■
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