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京都伏見区にある【海宝寺】を散策!伊達政宗の屋敷跡

ちぃパパ&ちぃママ

前回の記事、伊達政宗ゆかり伊達街道を歩いてみたで少しふれた「海宝寺」



海宝寺の住所が桃山町政宗となっていることから、この辺りに伊達家の屋敷があったとされており
少しミーハーな気分で、こちらのお寺を散策してきました


海宝寺がある近隣の風景などは前回の記事を見ていただくとして、早速中へ入ってみます


何やら監視されている気配が…
むむ!鬼瓦が石垣に埋もれている!

『ここは政宗公のお屋敷跡、心して入るように』
と私たちに、訴えかけているようにも見えます(笑)


では中へ

門から見た景色

海宝寺が完成したのが1716~1736年頃
かたや政宗が桃山に住んだのが1595~1599年頃
つまり、海宝寺は当時から無く政宗公死後、屋敷跡に建てられたことになります

政宗公が住んだお屋敷
果たしてどのくらいの大きさだったのでしょう?

説明板によると

豊臣秀吉からこの土地を与えられ、多くの重臣やその妻子などを住まわせ
常時1000人以上にも及んだとされる
そのことから屋敷一帯は伊達町と称された


とあります
面積などは分かりませんが
相当デカイ敷地を有していたということなんでしょうね(^_^;)

ちなみに前回にもさらっと書きましたが、伊達屋敷はこことは別の場所にもあります


海宝寺の全体はこんな感じ
境内は決して広くはありません



入って突き当たりに見えるのは仏殿(本堂)

大丸の創業者である【下村彦右衛門正啓】がお寺の檀家となり後に仏殿を寄進したといわれております


伊達政宗の位牌は海宝寺にあるらしいのですが、確認できませんでした

もしかするとただ見落としていただけかもしれません(^_^;)


仏殿横にある木
何やら包帯のようなものがぐるぐる巻かれています



この木は木斛(もっこく)という木で、伊達政宗が手植えたものだといわれおります
樹齢400年以上も経つことからかなりの老木

駒札には
【桃山時代の名木】
『古よりもっこくなきを庭園と云い難し』

と書かれ

むかし、江戸において重用視された造園木で「庭木の王」と呼ばれていたようです
政宗らしい立派な名木ですね(*^^*)



ん?
何やら魚らしきものが見ます


ぎょろっとした目とリアルな鱗
今にも動き出しそうな木の魚です

これは魚板(ぎょばん)という名前で木魚の原型だといわれ禅寺などで見かけます

これと同じものを宇治市にある黄檗山萬福寺で見たことがあり
あまりのインパクトだったのでよく覚えています

実際鳴らしているところを見たことがありませんが
時刻や諸事(食事の合図など)を知らせるときに鳴らすようです

確かに魚の腹部辺りを見ると剥げているのがわかります

魚板の話で面白いものを見つけました


魚の形をしているのは、魚は日夜を問わず目を閉じないことから、寝る間を惜しんで修行に精進しなさいという意味である。

そして、口にくわえた丸いものは煩悩を表し、魚の背をたたくことで煩悩を吐き出させる、という意味合いが有る。

ーWikipedia引用




続いて魚板の横にある建物
祠堂といい大丸関係者の位牌が置かれている建物だといわれております


こちらは方丈
あの天才絵師である伊藤若冲が晩年に制作した障壁画【群鶏図】があった場所です

およそ10メートルにも及ぶ超大作の障壁画で若冲晩年期の水墨画
この作品を最後に筆を取らなくなったことからその部屋は【若中筆投げの間】と呼ばれているそうです

作品は一部紛失しているものの京都国立博物館に置かれているようです

結局、もっこく以外で政宗公を感じ取れるものを発見することが出来ず残念ですが
ここにこの地に、確かに政宗公が存在していたんだと
しばし思いを馳せました


禅寺である海宝寺さん
予約をすれば普茶料理を頂けるそうなのですが、機会があれば政宗公を想像しながら頂いてみたいものですね


■海宝寺の住所■
京都市伏見区桃山町正宗20


■近隣情報■
伏見の御香宮に行ってきた

伏見の酒蔵めぐり!松本酒蔵などにいってみた





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