伊達政宗ゆかり伊達街道を歩いてみた!
伊達政宗も歩いたかもしれない街道を歩いてみた

前回藤森神社へたち寄った後
今度は桃山方面へとてくてく歩いてみました
【伊達街道】という街道を使って行きます (・ω・。)ノ=з
伊達街道へは藤森神社の南入口を真正面にみて右側を歩きます

少し歩くと左手に京都教育大学が見えてき途中を右に

このT字路を曲がります
ちなみに曲がらず真っ直ぐに進むとJR藤森駅があります

少し進むと赤っぽい柱と白壁の目立お家が見えてきました
ん?
家の脇に何やら石碑らしきものが見えます

立派な石碑には
茶 金正園と書かれています
どう見てもお茶を販売しているお店には見えません
これは一体何を表す石なのでしょう?

この辺りの町名は【深草大亀谷金森出雲町】
昔、近くに豊臣秀吉の城「伏見桃山城」があり
そこを取り囲むようにして各地の名高い武将・大名の屋敷がありました
実際地図を見てみると
町名⇒武将・大名
三河⇒徳川家康
福島太夫⇒福島正則
治部少丸⇒石田三成
毛利長門⇒毛利秀就
政宗⇒伊達政宗
最上⇒義光
島津⇒島津義弘
などなど、にわかに信じがたい町名と
凄い方々の屋敷があるのですよ!
( ゚д゚)
そして上記の町名「金森出雲町」は
金森可重の屋敷があったと思われる場所です
金森可重は豊臣秀吉に仕えた武将で飛騨国高山潘の2代藩主
朝廷から【従五位下出雲守】の位を頂いた人物でお茶の名人だったようです
また、長男にはあの宗和流茶道の祖といわれる金森重近(宗和)がおり
まさに茶の一家といっても過言ではなく、金森家の一族の屋敷がここら辺りにあったのかもしれません
結局、石碑に書かれた【茶 金正園】という意味はわかりませんでしたが
こちらのお家の方が金森一族と関係があるのか
はたまた昔、金森屋敷が存在した証なのかは分かりません (´σ `)
ただ言えることは
過去に存在した有名武将・大名屋敷がこうして町名として残されていること!
これ自体がとても貴重で
ロマンを感じずにはいられません(*^^*)

少し進むと変則の三差路に突き当たります

左側はお寺の敷地になっています
「海宝寺」という名のお寺さんで、
実はあの独眼竜こと伊達政宗の屋敷があった場所だといわれています
(゚∀゚)!!
まさに歴史好きの方にとっては聖地!
しかも町名が【桃山町政宗】なんですね
(゚∀゚)!!
海宝寺さんについてはまたの機会に書きたいと思います(☆`△´)ゞ
そして伊達街道沿いではありませんが
ここより少し北側には
西伊達町、東伊達町という町名が残っており
「伊達屋敷」があったところだろうといわれております(*^^*)
西伊達町、東伊達町とこちら海宝寺さん
今は道が真っ直ぐつながってないけど
もしかしたら昔は真っ直ぐつながっていたのかもしれない‥‥‥
一本道でつながっていることから伊達街道と名付けたのかも知れませんね(*^^*)

…興奮を抑え前に進みます

海宝寺ちかくの交差点
ん?
ガードレールの向こう側に何かあります

えっ!枯山水( ゚д゚)!
なぜ、こんなところにお庭が!

ミニ庭園と言いましょうかとてもコンパクト
有志の方々が作庭したのでしょうか?

狭い土地にもかかわらずとてもバランスのいいお庭です

一体誰がなんのため作ったのでしょうかね?

踏み切りをわたります

JR奈良線
単線が何だか懐かしくも感じるのは私だけでしょうか?

踏み切りを越えると大きな家がずらりと建ち並ぶ
この辺りまで来ると伏見桃山城は近いです

少し進むと何やら天皇の陵が見えてきました
【桓武天皇 柏原陵】と書かれています

実は京都に都(平安京)を作った桓武天皇。
その桓武天皇のお墓がこのような場所にあったんですね!
しかし、ここが100%桓武天皇の陵であるという確証がないという事実もあるようです
豊臣秀吉が伏見桃山城を作るに当たり御香宮や桓武天皇陵(縮小?)を移動させるという話を聞いたことがありますが
せめて、何処に移動させたかはっきり書き残してほしかったですね(^_^;)
(もちろん、秀吉の時代から桓武天皇陵が不確かだったかもしれませんが…)
ちなみに御香宮に関しては徳川家康が元の場所に戻したようです…

真っ直ぐ歩くと道が大きな左カーブになっています

カーブを曲がり終えるとT字にあたり伊達街道はここらで終わりかな?
この道を左に曲がるとおよそ10分位で伏見桃山城(運動公園)に行けます
今回私たちは右を曲がります

ツツジがとてもきれい

道を右に曲がった景色
こちらの交差点を右に曲がると
JR桃山・近鉄桃山御陵・京阪桃山と3つの駅に行くことができます
さらに、過去に書いた御香宮へも行くことができます
あまりメジャーではない「伊達街道」
戦国時代の著名な名前が町名になって今も残っていることに驚かされ
京都に都を作った桓武天皇の墓まであり
かなりディープな街道です
時代が変わりその景色もずいぶんと姿をかえたけど
それでも息づく歴史を感じながら歩くことができました
改めて街道散策が楽しいと感じた一日となりました(*´ω`*)
■近隣の食べ物屋さん■
伏見区のうどん屋【大河】に行ってきた!深草西浦町にある人気店
伏見の酒粕ラーメン【玄屋】に行ってきた

前回藤森神社へたち寄った後
今度は桃山方面へとてくてく歩いてみました
【伊達街道】という街道を使って行きます (・ω・。)ノ=з
伊達街道へは藤森神社の南入口を真正面にみて右側を歩きます

少し歩くと左手に京都教育大学が見えてき途中を右に

このT字路を曲がります
ちなみに曲がらず真っ直ぐに進むとJR藤森駅があります

少し進むと赤っぽい柱と白壁の目立お家が見えてきました
ん?
家の脇に何やら石碑らしきものが見えます

立派な石碑には
茶 金正園と書かれています
どう見てもお茶を販売しているお店には見えません
これは一体何を表す石なのでしょう?

この辺りの町名は【深草大亀谷金森出雲町】
昔、近くに豊臣秀吉の城「伏見桃山城」があり
そこを取り囲むようにして各地の名高い武将・大名の屋敷がありました
実際地図を見てみると
町名⇒武将・大名
三河⇒徳川家康
福島太夫⇒福島正則
治部少丸⇒石田三成
毛利長門⇒毛利秀就
政宗⇒伊達政宗
最上⇒義光
島津⇒島津義弘
などなど、にわかに信じがたい町名と
凄い方々の屋敷があるのですよ!
( ゚д゚)
そして上記の町名「金森出雲町」は
金森可重の屋敷があったと思われる場所です
金森可重は豊臣秀吉に仕えた武将で飛騨国高山潘の2代藩主
朝廷から【従五位下出雲守】の位を頂いた人物でお茶の名人だったようです
長近(養父)と同じく茶の湯に秀で、古田織部に師事した
2代将軍・徳川秀忠の茶道指南役を務め
吉野竹林院にて開かれた利休亡魂の茶会にも石川貞清らと共に参加している。
ーWikipedia参照
また、長男にはあの宗和流茶道の祖といわれる金森重近(宗和)がおり
まさに茶の一家といっても過言ではなく、金森家の一族の屋敷がここら辺りにあったのかもしれません
結局、石碑に書かれた【茶 金正園】という意味はわかりませんでしたが
こちらのお家の方が金森一族と関係があるのか
はたまた昔、金森屋敷が存在した証なのかは分かりません (´σ `)
ただ言えることは
過去に存在した有名武将・大名屋敷がこうして町名として残されていること!
これ自体がとても貴重で
ロマンを感じずにはいられません(*^^*)

少し進むと変則の三差路に突き当たります

左側はお寺の敷地になっています
「海宝寺」という名のお寺さんで、
実はあの独眼竜こと伊達政宗の屋敷があった場所だといわれています
(゚∀゚)!!
まさに歴史好きの方にとっては聖地!
しかも町名が【桃山町政宗】なんですね
(゚∀゚)!!

海宝寺さんについてはまたの機会に書きたいと思います(☆`△´)ゞ
そして伊達街道沿いではありませんが
ここより少し北側には
西伊達町、東伊達町という町名が残っており
「伊達屋敷」があったところだろうといわれております(*^^*)
西伊達町、東伊達町とこちら海宝寺さん
今は道が真っ直ぐつながってないけど
もしかしたら昔は真っ直ぐつながっていたのかもしれない‥‥‥
一本道でつながっていることから伊達街道と名付けたのかも知れませんね(*^^*)

…興奮を抑え前に進みます

海宝寺ちかくの交差点
ん?
ガードレールの向こう側に何かあります

えっ!枯山水( ゚д゚)!
なぜ、こんなところにお庭が!

ミニ庭園と言いましょうかとてもコンパクト
有志の方々が作庭したのでしょうか?

狭い土地にもかかわらずとてもバランスのいいお庭です

一体誰がなんのため作ったのでしょうかね?

踏み切りをわたります

JR奈良線
単線が何だか懐かしくも感じるのは私だけでしょうか?

踏み切りを越えると大きな家がずらりと建ち並ぶ
この辺りまで来ると伏見桃山城は近いです

少し進むと何やら天皇の陵が見えてきました
【桓武天皇 柏原陵】と書かれています

実は京都に都(平安京)を作った桓武天皇。
その桓武天皇のお墓がこのような場所にあったんですね!
しかし、ここが100%桓武天皇の陵であるという確証がないという事実もあるようです
柏原陵の在所は中世の動乱期において不明となり、さらに豊臣秀吉の築いた伏見城の敷地内に入ってしまったため、深草・伏見の間とのみ知られていた。
元禄年間の修陵で深草鞍ヶ谷町浄蓮華院境内の谷口古墳が考定され、その後幕末に改めて京都市伏見区桃山町の現陵の場所に定められた。
尤もその根拠は乏しいと見られ、別に桃山丘陵の頂き付近に真陵の位置を求める説もあるため確かな場所は不明とするほかない。
ーWikipedia参照
豊臣秀吉が伏見桃山城を作るに当たり御香宮や桓武天皇陵(縮小?)を移動させるという話を聞いたことがありますが
せめて、何処に移動させたかはっきり書き残してほしかったですね(^_^;)
(もちろん、秀吉の時代から桓武天皇陵が不確かだったかもしれませんが…)
ちなみに御香宮に関しては徳川家康が元の場所に戻したようです…

真っ直ぐ歩くと道が大きな左カーブになっています

カーブを曲がり終えるとT字にあたり伊達街道はここらで終わりかな?
この道を左に曲がるとおよそ10分位で伏見桃山城(運動公園)に行けます
今回私たちは右を曲がります

ツツジがとてもきれい

道を右に曲がった景色
こちらの交差点を右に曲がると
JR桃山・近鉄桃山御陵・京阪桃山と3つの駅に行くことができます
さらに、過去に書いた御香宮へも行くことができます
あまりメジャーではない「伊達街道」
戦国時代の著名な名前が町名になって今も残っていることに驚かされ
京都に都を作った桓武天皇の墓まであり
かなりディープな街道です
時代が変わりその景色もずいぶんと姿をかえたけど
それでも息づく歴史を感じながら歩くことができました
改めて街道散策が楽しいと感じた一日となりました(*´ω`*)
■近隣の食べ物屋さん■
伏見区のうどん屋【大河】に行ってきた!深草西浦町にある人気店
伏見の酒粕ラーメン【玄屋】に行ってきた
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