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【枚方】惟喬親王の渚院跡を散策

ちぃパパ&ちぃママ

私は昔から枚方に住んでおり(一時期京都にもいた)御殿山にある【渚】という町名は知っていて、綺麗な名だなとおもっていました。

皆さんもありませんか?
一度でも町の名前がきれいだなと思ったことを。

中には町名のもつ歴史由来があるもので
過去の私も
『渚の町にはきっと何かあるはず』
と、うっすらですが感じておりました。

歴史好きな皆さんなら分かると思いますが、過去に記憶した断片的な疑問は、いずれ歴史に興味をもち
むさぼるように歴史資料を読みあさっていくうちに
断片的な記憶と歴史資料との間に接点が出来る瞬間

この接点で渚の由来は【渚院】からきているのかと、閃くような感覚と嬉しさが生まれ行動せずにいられなくなるんですね(*^^*)

こういう自分は意外と好きかもしれません(爆)

何となくグーーんと話が変なところに行ってしまいましたが
要するに【渚の院跡】に行ってきました!



京阪電車「御殿山駅」から北東の方向約400メートルの場所に、第一皇子でありながら皇位継承にやぶれた惟喬(これたか)親王の別荘跡があった場所。


住宅に囲まれかつ、道は細く入りくんでいますので大変わかりにくいです。
ですので、目標物は【渚保育所】とするといいでしょう。



案内板によりますと

渚院は惟喬親王(844~897)の別荘だとされています。

惟喬親王は文徳天皇(850~858在位)の第一皇子でしたが、立太子争いにやぶれ
憂いをはらはすため、しばしば渚の院に来たようです。

【伊勢物語】には親王一行が交野ヶ原に遊猟にかたものの、渚の院で観桜や酒宴に興じ、歌を詠むばかりであったと記してあります。

『世の中にたえて桜のなかりせは
春の心はのどけからまし』業平

この歌はこの時同行した在原業平が
『渚の桜ことにおもしろし』と詠んだものですが、失意のうちにあって
『のどか』でない惟喬親王の心境が詠みこまれていると解釈されています。

渚の院跡には、観音寺が建立され十一面観音を本尊としていましたが、明治初年の神仏分離により廃寺となり、本尊は渚の西福寺に移されました。

今に残る梵鐘は寛政8年(1796)の鋳造で、河内鋳物師として著名であった枚方村金屋田中家信の作です





見るからに当時を偲ぶ物はなく後に作られた梵鐘だけです。
妄想で
『あー、ここに惟喬親王や在原業平が居たんだ…』
と、イメージするしかありません(^_^;)



向こう側は【渚保育所】になっており、とてものどかです(o^・^o)

ちなみに渚の院跡はフェンスに囲まれ鍵がかかっていますが、保育所に申し出れば開けてくれるそうです。

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