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京都東山【方広寺】の梵鐘に浮かぶ淀君の怨念?あざ?

ちぃパパ&ちぃママ

京都東山七条付近(京阪七条)に方広寺というお寺があります。
場所はこの辺り
京都府京都市東山区大和大路通 七条上ル茶屋町527-2

(↑Googleマップが開きます。方広寺の登録位置が多少ずれていますが(^_^;))









文禄4年(1595)豊臣秀吉が、奈良東大寺の大仏よりも大きな仏像を造るべくして建てたお寺です。
(※今は本堂と梵鐘しかありません)


大仏を安置する大仏殿の大きさは
前面83m
側面57m
高さ50m



そして内部には、漆を塗り金箔が貼られたといい
大仏の大きさは約20mの盧舎那佛だったそうです。

ちなみに奈良の大仏さんは14.98mですので、方広寺の大仏さんが相当大きかったことをうかがい知る事ができます。


翌年、慶長元年(1596)に伏見地震において方広寺の大仏と築地が大破され、秀吉が住んでいた伏見桃山城も倒壊。

秀吉は再度大仏殿の完成を待たずして慶長3年8月18日(1598年9月18日)に
死去します。


その後、徳川家康は豊臣家の莫大な財力を削ぐため、頼秀に方広寺大仏殿の修復をさせます。

ほどなく大仏殿が完成し、いよいよ大仏開眼供養を執り行うその折りに、家康は待ったをかけます。

その理由として、再建の際に作られた梵鐘に書かれた銘文(彫られている文字)に目を細めたからです。

いわゆる「方広寺鐘銘事件」。

教科書にものるほど大事件ですよね。







梵鐘に書かれた文字には
「国家安康」と「君臣豊楽」
と書かれています。

『国
つまり【安】の字で家康の分断(体を真っ二つ)させた呪詛であったこと。

そして『君臣豊楽』は
【豊臣を君として楽しむ】
つまり豊臣家の繁栄を願ったもだったからです。

これは金地院崇伝らにより家康が聞かされた、紛れもない“難癖”なのです。

もともと豊臣家を何とかしたいと考えていた家康にとっては、これで豊臣家を滅ぼすための大義名分ができたわけです。

そして大阪冬の陣・夏の陣により豊臣家は滅亡します。


で、ここからがちょっとミステリーなんです。
こちらをごらんください↓



これが難癖をつけられた梵鐘なんですが、内部に入るとあるものが見えるんです。


白く楕円形になったものが見えるでしょうか?

噂では“大阪の陣”で亡くなった淀君の顔だといいます。
顔は斜めに傾け右に垂れ下がる髪の毛。

家康の謀略により滅亡に至った淀君の亡霊は、この方広寺の梵鐘において、凄まじい恨みの力で浮かび上がってきたのでしょうか?




ところでこの梵鐘のサイズは
高さ 4.2m
外径 2.8m
厚さ 27cm
重さ 82.7トン

かなりのスケールです(^_^;)


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