片埜神社の境外摂社!?朝原神社と瘡神社
以前、片埜神社について記事をあげまし
た。
片埜神社の記事はこちら
実は片埜神社には“境内以外”にも関連神社を持っており
その神社のある場所が『見つけられない』と言う人も居られるようで、確かにちょっと分かりにくいです。
ちなみに“境内意外”ある関連神社を
【境外摂社】や【境外末社】
と言ったりします。
で、なぜなかなか見つけられないのか?
あ、そうそう。
肝心の神社名を言っていませんでしたね(^_^;)
二つあります。
1つは
【朝原神社】
もう1つは
【瘡(くさ)神社】
実は、これらの神社は片埜神社の真横くらいにあるのかなーって思ったんですが、周りにはなく
片埜神社から東に行ったおよそ100m~150mほどの場所にあります。
が、あまりに小さく
しかも『えっ!?』というような位置にあるので、車だと知らずに通り過ぎているかも知れません。
もっと分かりやすく場所の説明をすると、片埜神社から府道13号線を東に行きます。
すると左手に消防署(出張所)がありますので、それを挟むようにして朝原神社と瘡神社があるんですね。
だいだいこの辺り
(↑※Googleマップが開きます)
消防署を見て左に朝原神社で右が瘡神社となります。


朝原神社は詳細は不明ですが、神様名が【猿田彦】とありますので、交通安全・道案内の神様ですから、昔からここは主要な道路で人の往来があったのではないでしょうか?
もっとも今では、細い道のわりに車の行き来が絶えず、ちょっと危ないです。
で、
どうやらもう1つの社である【瘡神社】に関しては、歴史がありそうです。


菅原道真が太宰府へと左遷するにいたり、この辺りを通り掛かったとき
乗馬していた馬が病にかかってしまいます。
そこで馬を村に預けましたが、そのかいむなしく死んでしまいます。
村の人はそこに祠を建て、草や藁(わら)などをお供えし祀ったのが始まりだそうです。
それがいつしか
草=瘡
と転化し
本来、馬を祀ったはずが、皮膚病を治す神様としてあがめられるようになります。
もしかしたら、この辺りで【流行り病】
例えば疱瘡・天然痘があって
この瘡神社に草や藁をお供えすることによって、病院の治癒を願ったのかも知れませんね。

とかろでこ瘡神社の裏は鬱蒼と木が茂っており、前面が池になっております。
実はここは本殿がなく拝殿しかありません。
つまり神社信仰の典型である、自然が御神体というわけですが(池や森)
で、興味深い内容がWikipediaにありました。
ここから↓
ということは【流行り病】があったのでしょうか?
た。
片埜神社の記事はこちら
実は片埜神社には“境内以外”にも関連神社を持っており
その神社のある場所が『見つけられない』と言う人も居られるようで、確かにちょっと分かりにくいです。
ちなみに“境内意外”ある関連神社を
【境外摂社】や【境外末社】
と言ったりします。
で、なぜなかなか見つけられないのか?
あ、そうそう。
肝心の神社名を言っていませんでしたね(^_^;)
二つあります。
1つは
【朝原神社】
もう1つは
【瘡(くさ)神社】
実は、これらの神社は片埜神社の真横くらいにあるのかなーって思ったんですが、周りにはなく
片埜神社から東に行ったおよそ100m~150mほどの場所にあります。
が、あまりに小さく
しかも『えっ!?』というような位置にあるので、車だと知らずに通り過ぎているかも知れません。
もっと分かりやすく場所の説明をすると、片埜神社から府道13号線を東に行きます。
すると左手に消防署(出張所)がありますので、それを挟むようにして朝原神社と瘡神社があるんですね。
だいだいこの辺り
(↑※Googleマップが開きます)
消防署を見て左に朝原神社で右が瘡神社となります。


朝原神社は詳細は不明ですが、神様名が【猿田彦】とありますので、交通安全・道案内の神様ですから、昔からここは主要な道路で人の往来があったのではないでしょうか?
もっとも今では、細い道のわりに車の行き来が絶えず、ちょっと危ないです。
で、
どうやらもう1つの社である【瘡神社】に関しては、歴史がありそうです。


菅原道真が太宰府へと左遷するにいたり、この辺りを通り掛かったとき
乗馬していた馬が病にかかってしまいます。
そこで馬を村に預けましたが、そのかいむなしく死んでしまいます。
村の人はそこに祠を建て、草や藁(わら)などをお供えし祀ったのが始まりだそうです。
それがいつしか
草=瘡
と転化し
本来、馬を祀ったはずが、皮膚病を治す神様としてあがめられるようになります。
もしかしたら、この辺りで【流行り病】
例えば疱瘡・天然痘があって
この瘡神社に草や藁をお供えすることによって、病院の治癒を願ったのかも知れませんね。

とかろでこ瘡神社の裏は鬱蒼と木が茂っており、前面が池になっております。
実はここは本殿がなく拝殿しかありません。
つまり神社信仰の典型である、自然が御神体というわけですが(池や森)
で、興味深い内容がWikipediaにありました。
ここから↓
本殿がなく、拝殿の後にある池を拝む形になる。
道真の馬が祀られる以前から池が信仰の対象となっていたようである。
現在拝殿となっている建物は、以前は「お蘢り堂」として使われ ていたもので、皮膚病平癒の祈願のためのお蘢 りが行われていた。
Wikipedia抜粋
ということは【流行り病】があったのでしょうか?
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