豊国秀吉を祀る【豊国神社】へ行ってみた!
ほうこくさんで親しまれている
京都の豊国神社にやってきました
この日は、8日。
おもしろ市をやってましたよ
豊国神社の御祭神は豊国大明神
豊臣秀吉のことです
秀吉が造った方広寺の近くにあります
足軽から天下人にまで登り詰めたことから
出世開運の神社とされています
ほおぉぉ
豊臣秀吉の馬印の瓢箪の形をした絵馬
「プリンセストヨトミ」でも瓢箪がでてきてましたねー
豊臣家のシンボルといえば瓢箪です
唐門のつがいの鶴
飛びたってしまわぬよう目が入れられてません
そしてこのすばらしい扉

下にある鯉の滝登り
水の流れの彫刻がきれいですねー
鯉が今にも飛び出してきそうです
昔は漆塗りで極彩色で金箔だったそうで
どんだけ派手やってん!
て感じです
さらにこの唐門は伏見城の遺構だといわれています
伏見城が取り壊されたあと
二条城に移され
↓
南禅寺の塔頭
↓
そして豊国神社に移されたようです
この唐門は国宝に指定されています
豊臣秀吉の死去の翌年、遺体が遺命により方広寺の近くに埋葬され
その麓に方広寺の鎮守社としてこの豊国神社が建立された
しかし、豊臣宗家が滅亡すると
徳川幕府により打ち壊された
1868年、明治天皇が大阪に行幸した とき、
秀吉を天下を統一しながら幕府は作らなかった尊皇の功臣であるとして、豊国神社の再興 を布告した。
1880年、方広寺大仏殿跡地の現在地に社殿が完成し遷座した
とあります
唐門より先には入れなくなっていました
奥には厳かな空間が広がっています
むしろ『入るな!!』 という空気が唐門の向こう側から感じるような気さえもします
もしかすると
その奥に、秀吉が本当に居るのではないか?
そんな気がふとしました
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秀吉が造った方広寺の近くにあります
足軽から天下人にまで登り詰めたことから
出世開運の神社とされています

豊臣秀吉の馬印の瓢箪の形をした絵馬
「プリンセストヨトミ」でも瓢箪がでてきてましたねー

豊臣家のシンボルといえば瓢箪です
唐門のつがいの鶴
飛びたってしまわぬよう目が入れられてません

そしてこのすばらしい扉


下にある鯉の滝登り
水の流れの彫刻がきれいですねー

鯉が今にも飛び出してきそうです
昔は漆塗りで極彩色で金箔だったそうで
どんだけ派手やってん!

さらにこの唐門は伏見城の遺構だといわれています
伏見城が取り壊されたあと
二条城に移され
↓
南禅寺の塔頭
↓
そして豊国神社に移されたようです
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豊臣秀吉の死去の翌年、遺体が遺命により方広寺の近くに埋葬され
その麓に方広寺の鎮守社としてこの豊国神社が建立された
しかし、豊臣宗家が滅亡すると
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1868年、明治天皇が大阪に行幸した とき、
秀吉を天下を統一しながら幕府は作らなかった尊皇の功臣であるとして、豊国神社の再興 を布告した。
1880年、方広寺大仏殿跡地の現在地に社殿が完成し遷座した
とあります
唐門より先には入れなくなっていました
奥には厳かな空間が広がっています
むしろ『入るな!!』 という空気が唐門の向こう側から感じるような気さえもします
もしかすると
その奥に、秀吉が本当に居るのではないか?
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