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【島原】京都の遊郭を散策。行き方や所要時間を紹介!

ちぃパパ&ちぃママ

※本ブログでは記事中に広告情報を含みます

かつて京都で名を馳せていた遊郭島原。

公家や武家、そして幕末の頃になると新選組や志士といった多くの著名人が訪れていました。

島原は遊びとしての場として、そして情報収集や志士達の密会の場としても利用され、まさに歴史の中心にあった場所だと言えます。

現在、島原の周辺は住宅地と化していますが、今でも当時の面影は残っています。

観光として島原エリアはあまり訪れることはないかもしれませんが、歴史好きな人にとっては外せないスポットだと思います。

今回は、そんな動乱の歴史を駆け抜けぬけた遊郭島原を紹介します。
気になる方はぜひ読んでみてください。

島原の行き方と所要時間




上記マップは島原大門周辺の地図です。

【島原(大門)への行き方】

●JR丹波口駅から徒歩8分

●JR梅小路京都西駅から徒歩10分

●市バス島原口から10分

●市バス七条壬生川10分

【島原を全て見終える所要時間】
島原界隈の見学に要する所要時間
およそ45分〜1時間(ゆっくり目です)
※ただし、角屋もてなしの美術館などの見学は含みません。

島原を散策。見所を紹介!


京都には今でも、舞妓さんや芸妓さんがいる花街があります。

祇園東、祇園甲部、上七軒、先斗町、宮川町

そしてかつて幕府公認の花街として、歴史上の有名人たちがこぞって行った、今はなき有名な花街がありました。

それが
島原です 。

それでは島原の見所を紹介していきます!


島原大門

1641年に開設された島原は、塀と堀で囲まれており、東北角にあった大門が唯一の出入り口とされていました。

その後、西にも大門が設けられるようになりそれと同じくして、東西中央をはしるメインストリートが完成しました。

それまで東北角にあった大門は、1766年に現在の位置へと付け替えられたといいます。

この大門は市の登録有形文化財です。

島原は、吉原のように閉ざされた所ではなく女性達は自由に廓の外へ出ることができたし、一般人も自由に出入りができたといいます。


大門の柳

風で揺れるさまが、なんとなくもの悲しく見えるのは私だけでしょうか······。


西から見た大門


島原というのは通称な呼び方で、正式には【西新屋敷】と呼びます。

1641年、島原の前身である六条三筋町からこの地に移された時の移転騒動が、九州で起きた島原の乱を思わせたところから、一般に島原とよばれてきたそうです。相当に荒れたお引越だったんでしょうね。

大門をくぐった先は住宅街で今はもう、少ししか当時の名残は残っていません。
そんな名残を求めて歩いていると見えてきました。

輪違屋です。


細かい格子が時代を感じます。

輪違屋は置屋といって太夫や芸妓を派遣するお店でした。1688~1704の創業と伝えられている最古の置屋です。



輪が二つ重なった輪違屋の紋

現在はお茶屋さんとして営業中のため非公開になっています。

かつては置屋が約50件、揚屋が約20件ほどあったといいます 。
しかし明治以降、次第に衰退していきました。
その名残をもう少し散策していきたいと思います。


平成22、さらなる景観向上のため、島原六ケ町道路を石畳風にしたそうです。


そんな風情ある町並みに悠然と佇む、角屋が見えてきました。

角屋は、島原を代表する揚屋で(今の料亭にあたるようなお店のこと)、江戸時代、京都では民間最大規模の宴会場だったそうです。

幕末には、新撰組の局長クラスの宴会などもひらかれており、芹澤鴨はここ角屋でおこなわれた新撰組局長クラスの宴会に出席したその夜に、屯所で暗殺されたとあります。

また西郷隆盛や長州藩士の久坂玄瑞などの志士たちが、暗殺の難を避け潜行密議をした場所でもあります。


石碑がたっていました。


現在角屋は「角屋もてなしの美術館」として公開されています。

開館日が
3月15日から7月18日
9月15日から12月15日となっています

私が行った8月は閉まっていました······。

ちなみに、休館日は毎週月曜日(祝日の場合は開館、翌日が休館)


勤皇の志士達が、それを追う新撰組が、奔走したこの場所。
歴史を刻み込んだ角屋は現在、国の重要文化財に指定されています

角屋の横には【東鴻臚館跡】がありました。
(写真を撮り忘れました。すいません)

鴻臚館とは、平安時代に設置された外交、海外交易の施設のことで、今は石碑がたってるだけですが
どんな建物だったのでしょうね‥?
国威を示す為、とても華やかだったんだろうか······。

そんな妄想をしながら歩いていると、神社が見えてきました。


島原住吉神社です

もともと個人宅で祀っていた住吉大明神が噂をよび
祭神を島原の西北に遷座し建立されたとあります。
当時はかなり大きい敷地だったといいます。

そんな神社に、太夫や芸妓達が、勤皇の志士達が、新撰組が、または文化人達がどんな想いを願ったんでしょうか······。




島原住吉神社の狛犬

所々欠けていますがなかなかユニークな表情です。
狛犬というより怪獣っぽいような感じですねー。


神社の横には、かつてあった島原西門の碑がありました。


さらに進むと、島原住吉神社の旧敷地内に植わっていたという大銀杏がありました。

島原の歴史をずーっと見守ってきた、樹齢300年の島原一の巨木です。
今は根元に弁財天が祀られています。

秋になり黄色に色づく大銀杏も素敵なんでしょうねー。


おっ仁丹の町名看板発見!
近年少なくなってるという仁丹の看板。
ここの看板はかなり傷んでいます。
この傷みもまた昭和の歴史を感じます。

幕末の頃の華やかさや、きらびやかさ。
そういった名残を残すものは少なくなりましたが、島原を歩いて歴史の鼓動のようなものに触れたような気がしました。

終わりに


当時の島原は、傍目から見るときらびやかで一度は憧れる場所だったかもしれない。
だけど、光あれば必ず影もつくもので、その時々に歴史を動かす陰謀が渦巻いていたのも事実です。

今は、当時を思い起こさせる建物や雰囲気は薄れつつありますが、とはいえ、実際訪れてみればわかる微かな面影を感じ取ることが出来ます。

特に幕末の歴史に興味をお持ちの方は、一度島原に訪れてみてはいかがでしょう。


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Posted byちぃパパ&ちぃママ

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