【百済王神社】百済王(くだらのこにしき)の歴史 - 京阪てくてく町めぐり

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【百済王神社】百済王(くだらのこにしき)の歴史



660年頃、百済(今の朝鮮半島)は唐・新羅(しらぎ)の連合軍に敗れ滅亡しました。


既に倭国(日本)との同盟の証として人質となっていた
百済王族、義慈王の次男善光(禅広)は
、朝廷にお願いし一族を日本に招き入れ摂津難波津(なにわ)で一緒に暮らすことになります。


禅広と一族は朝廷の為に一生懸命勤め数々の功績を残し、数年後朝廷から【百済王(くだらのこにしき)】という高い位を頂きました。

そこから数年が経ち、時代は禅広の曾孫(ひまご)にあたる敬福(きょうふく)の時代になります。

その頃、敬福は陸奥(現在の茨城県)で、お偉いさんになっていました。

それと同時に国では一代プロジェクトとして、奈良東大寺において巨大な大仏を作っている最中。

しかし、完成間近というところで問題が生じます。
『仏さんを金ピカにする金が足らなくね?』

『だな。』

と国は大変困っていました。

その事が東北で働く敬福の耳に届きます。
『よし、今すぐ金を採掘し奈良に送るとしよう!』

その後、金は900百両ほり集めることができ、無事に大仏を金ピカにすることができました。

この活躍ぶりに対して朝廷は敬福に【河内(かわち・大阪)】のお偉いさんになるように命じます。
いわゆる出世です。

そこで敬福は交野台地(今の枚方)の一ヵ所に【中宮】という地名を付け、難波津で暮らす一族を呼びました。

そしてここ中宮で、先祖をまつり何時でもお参りが出きるように
百済寺・勝曼荼羅院大伽藍(しょうまんだらいんだいがらん)】と
氏神として【百済王神社】を建てました。

しかしその200年後、百済寺は火災で全焼し衰退していきます。

後に、奈良の興福寺により再興され春日大社の本殿を移築(春日移し)し、現在に至ります。

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